2022年度シンポジウム趣意書


古代社会における魔術と宗教

 陰陽道(おんみょうどう・おんようどう)について『日本史大事典』(平凡社、一九九二年)では、「日月星辰の運行や方位をみ、特殊な占法を用いて国家・社会や個人の吉凶禍福を判じ、あらゆる思考や行動上にその指針を得ようとする諸技術を指し、これに関連する思想・理論も含まれる」とある(村山修一)。
 陰陽道の起源となる思想は中国で生まれ、発達した陰陽五行説である。陰・陽と木・火・土・金・水の組み合わせで万物が生成すると考え、十干・十二支にも配当され、天文・暦法・医学ほか、東アジアのあらゆる学問の基礎理論となった。
 それは権力者だけでなく、民衆の間にも広まり、国家や個人の未来を予知する技法としても社会に浸透した。日本には特に朝鮮半島百済から、陰陽五行説による諸知識が仏教伝来の前後にもたらされ、それらを管轄するために律令官制の一つである中務省の下部組織として「陰陽寮」が設置された。それが発展して、平安時代が始まる頃に陰陽道が成立した。陰陽道の方術によって吉凶災福を察知する人間を陰陽師と呼ぶが、その代表的人物として有名なのが平安時代中期に活躍した安倍晴明であり、神秘的な超能力を持つ陰陽師として、その名を知る人は多い。彼は、数々の伝承や文芸作品に登場するが、史料的根拠がなく、イメージで形作られた部分も少なくない。
 現在でも多くの人が、寺社参詣の際におみくじを引いて吉・凶の出方に一喜一憂したり、自分の運勢を占ってもらったりする姿がしばしば見受けられる。科学が高度に発達した現代であっても、人知を越えた世界に対する興味や関心は決してあせることはない。したがって、陰陽道や陰陽師は過去のものではなく、現代につながる性格を持っており、歴史学研究の重要課題の一つと言える。
 そこで今年度の大会シンポジウムでは、「古代社会における魔術と宗教」という統一テーマのもとに、日本史・東洋史・西洋史の各分野において、「古代」と呼ばれる時代の国家や社会について精力的に研究を進めている三人の方に御登壇願うことにした。このため陰陽道研究は、一九九〇年代以降に長足の発展を遂げ、冒頭の村山の定義にも、現在ではさまざまな修正や留保が加えられるようになった。
 第一報告は、「平安時代の「街の魔術師」―法師陰陽師について」と題して細井浩志氏(活水女子大学)がおこなう。 陰陽道は、時代ごとにその様相が変わるが、平安時代の陰陽道とは、紀伝道や明法道と同じく、朝廷の学術専門家集団としての諸道の一つである。また陰陽師とは、朝廷で公私に陰陽道の奉仕を行う者を指し、近年、研究者からは「官人陰陽師」とよばれる。ところが、これに対して、官人陰陽師ではない、法師陰陽師あるいは隠れ陰陽師とよばれる存在が知られる。彼らは、官人陰陽師とは系統を異にする術を使ったとされ、貴族や庶民の要請に応えて呪術・祭祀をおこなった。また彼らは、裕福だが、いかがわしい存在ともされていた。しかし、なぜ法師陰陽師は、「いかがわしい」のだろうか。彼らの術が、仏教や陰陽道、神祇信仰等の混淆だということは、早くから指摘されている。だが官人陰陽師の術法にも、仏教的要素の混じるものがあり、術法の純・不純は問題にならない。そこで本報告では、法師陰陽師とは何者なのかを改めて考えてみたい。
 第二報告は、「中国古代の民俗宗教と商業」と題して柿沼陽平氏(早稲田大学)がおこなう。中国古代において商業は、必ずしも経済的合理性のみを動因としていたのではない。むしろ戦国秦漢時代には、陰陽五行説を含む多様な民俗宗教の世界が広がっており、商人の行動もそのなかで大きく規制・誘導されていた。本報告ではまず近年出土のいちじるしい「日書」を史料としてとりあげ、その分析を通じて商人の行動を明らかにする。そのうえで、魏晋南北朝にも視野を広げ、いわゆる志怪小説にみられる商業の痕跡をたどることで、当該時代の商業と民俗宗教との関係性にも言及する。以上の分析を通じて、初期道教へと繋がってゆく民俗宗教と商業との通時的関係性を闡明したい。
 そして第三報告は、「『古代ギリシア語魔術パピルス』の生産者と消費者」と題して前野弘志氏(広島大学)がおこなう。『古代ギリシア語魔術パピルス』とは、ローマ帝国時代のエジプトにおいて主にギリシア語で書かれた魔術のマニュアル本の総称である。報告者は「魔術」を二重に定義する。すなわち、字義的には「神霊(魔)と交信しそれを操作するとされる技術」、目的的には「欲望に苛まれた人間の心を癒す鎮痛剤」である。この魔術の最大の特徴は、神殿において大規模かつ壮麗に挙行された鎮護国家的な「公的儀式」とは異なり、もっぱら家庭の私的空間において小規模かつ安価に行われた「私的儀式」にあるとされる。『古代ギリシア語魔術パピルス』が盛んに書かれた時代は、エジプトの諸神殿が衰退し、閉鎖されて食い扶持を失った神官たちが神殿を出て諸都市や村々に流れて行った時代と一致する。当該文書の存在理由を考える時、その文書の生産者と消費者の問題の考察が不可欠であろう。
 三名の報告者には、古代日本の陰陽道の実態と、その源流である古代中国の社会生活、そして西洋の古代ローマ帝国における陰陽道的なものについて、それぞれ専門の立場から話していただき、それをふまえて広く議論したい。また、報告者それぞれが使用される史料にも注目していただきたい。
 統一テーマとしては、報告者のうち二人がタイトルに「魔術」という言葉を使われていること、そして民俗宗教と深い関係性を有していること、さらに国家よりも社会や民衆に重きを置く点から、「古代社会における魔術と宗教」とした。当日のシンポジウムでは、日本史・東洋史・西洋史の枠組みを越えて活発な議論が繰り広げられることを期待している。
 なお、今年度のシンポジウムは二度目のオンライン開催となる。広島史学研究会の会員以外の方も数多く参加されるであろう。さまざまな角度から、御意見を賜れば幸いである。